中公新書ラクラから出版された「回想のすすめ」〜豊潤な記憶の海へ〜五木寛之さんの本に共感。
先週の土曜、グランフロント紀伊國屋書店で平置きされている新刊書を眺めていると、このタイトルと帯に書かれた文が目に留まりました。
本の名は「回想のすすめ」。著者は五木寛之さんです。その帯には内容の紹介がありました。以下、その引用です。(帯、全文)
『ひとり過去の歳月を振り返るー。それは、誰にも侵すことができない豊穣の時間である。 不安な時代にあっても変わらない資産がある。それは人間の記憶、一人ひとりの頭の中にある無尽蔵の思い出だ。年齢を重ねれば重ねるほど、思い出が増えていく。記憶という資産は減ることはない。齢を重ねた人ほど自分の頭の中に無尽蔵の資産があり、その資産をもとに無限の空想、回想の広野のなかに身を浸すことができる。これは人生においてとても豊かな時間なのではないだろうか。最近しきりに思うのだ。
回想ほど贅沢なものはない』
このブログ、Massyのこころ絵帖では絵を描くテーマを2つに決めて描いています。その一つが「こころの風景」です。過去を振り返り生まれてこの方、思い出深い場所やシーンを選んで描くというもので、そこにまつわる思い出話なども添えています。過去を振り返り思い出に浸りながらの描く時間はとても心を満たしてくれる時間ではあるのですが、その反面、過去をしのぶことそのものが一種の後ろ向きな時間であるのではないか、との思いも伴っていました。この思いを「過去の振り返りは明日を生きるためのエネルギーチャージである」とすることで打ち消し、描く意義を見出していました。
こんなとき、この1冊に出会いました。ここで五木さんが述べられていることを抜粋し引用させて頂くと…、
『回想というのは、過去を思い返すこととされている。しかし、それはいわゆる「思い出」にふけることとは、どこかちがうような気がするのはなぜだろう。』
『思い出はどこか湿っぽい気配がただよう。「昔はよかった」と感傷にふける感じもある。しかし回想というのはむしろ積極的な行為ではないかと私は思う。古い記憶に沈潜するのではない、なにかをそこに発見しようとする行為だからだ。』
『どんなにみじめな時でも、当時のことを思い出すと、なんでもないように感じられるのだ。回想の力、というものがある。私はその力によって支えられてきたのかもしれない。』
『うしろを振り返ることで前にすすむエネルギーを生み出す。』
『私たちは大英博物館より巨大な無数の記憶のコレクションを持っている。未来だけが人生ではない、過去もまた人生だ。明日を夢見ることと同様に、きのうを振り返ることが重要なのである。』
これらからうかがえることができるのは、明日を支え、こころ豊かな未来へ導くのが回想の力であるということ、そして思い出を振り返り懐かしみながら絵にしていくことは単に感傷を伴った振り返りではなく、積極的でダイナミックな行為であり明日を生きる力を分け与えていただくことになる、これまでの考えがそう大きく違っていなかったことを確信しました。
1冊の本が与えてくれるもの、それは時に前に進むための勇気。APUの出口学長が常々言われているように、心を豊かにしてくれるものは「本、旅、人」であるということも改めて実感しました。
ご興味があれば、皆様も書店にて是非手にとってみられてはいかがでしょう。